冠婚葬祭は地方色の濃いイベントだから、以前なら全国一律のマニュアルをつくるのは無理だし、そう需要もなかっただろう。それは村の長老らがよしなにはからってくれたのである。が、第一次世界大戦の後くらいから、農家の次男、三男を中心に農村から都市への人口流出がおこり、都市で結婚して家庭を築く人々が増えた。彼ら都市住民は伝統的な共同体とは切り離された存在であり、冠婚葬祭も自前で行う必要が出てきた。加えてそこに冠婚葬祭気分を盛り上げる慶事があった。なんとまたもやロイヤルウエディング、すなわち一九二四(大正一三)年一月二六日に行われた皇太子裕仁(昭和天皇)と久邇宮良子(香淳皇后)の婚儀である。大正天皇の結婚もそうだったけれども、冠婚葬祭業界というものはどうもロイヤルウエディングで活気づくものらしい。ときに裕仁二四歳、良子二二歳。二人の結婚はその五年前には内定しており、一九二三(大正一二)年一月には民間の結納に当たる「納采の儀」も行われて、年内にも結婚の手はずだった。が、この年の九月に起こった関東大震災のため、翌年に延期されたのである。ときの政権は若くて健康な裕仁を、大々的に売りだそうとしていた節がある。ハーバート・ビックスは〈成婚の日には、四七機の軍用機が首都の上空を飛行し、慶賀の言葉を記しか小さな落下傘をまいた〉(『昭和天皇』)と述べている。馬車の行列が行く沿道には何千人もの観衆が詰めかけた。大正天皇のとき以上に、それは華やかな式典だったといえるだろう。
土葬で遺体を穴に入れて土で埋め穴回りが終わってから近親者が小銭をばらまいた。これを実際子どもたちが拾いに集まって来た。子どもたちはその撒き銭を拾うのが楽しみだったという。このときに拾ったお金は、その日のうちに使い切ってしまうものといわれている。この撒き銭は、おそらく厄払いの意味があったのだろう。野辺送りにともなう不浄を銭の呪力によって排除している。そしてこの撒き銭に代わって長寿銭が登場したことになる。ただ異なるのは、長寿銭はもらうと神棚に置いたり、かばんにしまったりして大切にしていることである。撒き銭のように、早く使わなくてはいけないという禁忌はともなっていないということである。もっとも、長生きした人の撒き銭を拾うと縁起がよいとか、衣服に縫いつけるという習俗も一方にあった。これは長寿銭と同様のものであろう。長寿銭が、撒き銭から変化したものであることを証明していると考えられる。
○日にはお目にかかれることを楽しみにしております。はい。よろしくお願いします。季節の変わり目、○○さんくれぐれもご自愛くださいね。そちらもお元気で。一つ一つ相手の言ったことに答えようとするあまり、相手の文章を引用しすぎるのは、律儀を通り越して無作法だ。引用は事務的な用件に対してのみにとどめよう。メールのやりとりが続くと、タイトルに「Re」が続くことがある。重なると読みにくく、何の話をしているかがわかりにくくなってしまうのでスパッと新しいタイトルに変えてしまおう。返信に以前の文面がだらだらと続いているのもムダに容量を増やすだけ。相手にも送信ずみメールは残っているのだから、削除してすっきり読みやすくすること。短くシンプルなメールには、相手もパッとすぐに答えやすいものだ。